鬼滅の刃で痣があるものは特別強いものというイメージがあります。
それは昔鬼舞辻無惨をあと一歩で倒すことができるというところまで追い詰めた始まりの呼吸の剣士たちが全員痣を発現させていたことからかもしれません。
しかし痣は強くなるということだけではなく、大きなデメリットもあるのです。
鬼滅の刃の戦いでとても重要な痣について考えてみたいと思います。
【鬼滅の刃】「始まりの呼吸の剣士」に共通する痣とは?

戦国の時代、鬼舞辻無惨をあと一歩のところまでおいつめた始まりの剣士たちには、全員に鬼の紋様と似た痣が発現していたそうです。
【鬼滅の刃】炭治郎の額の痣はいつ出来たもの?

炭治郎の額のあざは、元々弟が火鉢を倒した時に、庇ってできたやけどです。
さらにその上を、最終選別で負傷してしまい、今の形になりました。
【鬼滅の刃】炭治郎が覚醒したら額の痣が濃くなった?

炭治郎に新たな模様の痣が発現していたのです。
それは上弦の陸の鬼と妓夫太郎と闘った時、頸をとらえましたが炭治郎の力が足りずに頸を斬ることができません。
炭治郎が最後の力を振り絞った時に模様が変化していたのです。
でも戦闘が終わると元の傷の模様に戻るのでした。
それから上弦の伍との戦いの時も変化しましたが、同じように戦いが終わるとまた傷の形に戻るのです。
痣は最後にはまた元に戻るのですが、強い相手との戦闘によって現れるようです。
【鬼滅の刃】「日の呼吸」の素質がある者に痣ができる?

日の呼吸の資質のある使い手には、生まれつき赤い痣があると言われています。
日の呼吸の使い手の子孫とされている時透無一郎には初めは痣がありませんでした。
しかし玉壺との戦いのときに、それまで失っていた記憶を取り戻して炭治郎と同じように痣を発現させました。
炭治郎にも痣はありましたが、後天的にできたものです。
しかし日の呼吸ととてもよく似ているヒノカミ神楽の継承者なので、何か関係があるのかもしれません。
炭治郎の父・炭十郎にはもともと痣があったようです。
炭十郎のあざは先天性のものでした。
やはりヒノカミ神楽と日の呼吸には何か関係がありそうです。
【鬼滅の刃】痣が浮き出す条件とは?

戦闘中に痣が発現するものが現れてきました。
最初に痣を発現させたのは、竃門炭治郎です。
上弦の陸・妓夫太郎と闘っているときに、幼い時にできたやけどの跡がくっきりと濃くなって痣になりました。
痣を発現させることによってパワーアップするのです。
鬼に勝つためにはもちろんパワーアップが必要ですが、痣を発動させるには条件があるようです。
お館様にどういう状態で痣が発現したのかと問われた時、時透無一郎がきちんと答えていました。
あくまで無一郎の考えですが、上弦の鬼と戦っているときに無一郎を助けようとしてくれた少年が殺されかけて、昔の記憶が戻り強すぎる怒りで感情の収拾がつかなくなりました。
その時の心拍数は200を超えていたと思います。
さらに身体は燃えるように熱く、体温の数字は39℃以上になっていたはずです。
そこで死ぬか死なないかが、たぶん痣の出るものとでないものの分かれ道ではないかと言いました。
【鬼滅の刃】痣を持つ者は25歳までに命を落とす!?

上弦の壱が悲鳴嶼に対して、痣が発現して力が向上できても、所詮それは寿命の前借りに過ぎない。
痣の者は例外なく・・・二十五の歳を迎える前に死ぬのだと言いました。
痣の発現は、エネルギーを大量に消費するため、一度に何日分もの命が減ってしまうということなのでしょうか。
【鬼滅の刃】鬼滅隊の中で痣がある人物は?

柱で痣の発言者は
・恋柱・甘露寺蜜璃
上弦の鬼・半天狗の分身を押さえようとひとりで闘うことを決意した時に痣を発現させ、朝日が昇るまで闘い続けました。
・岩柱・悲鳴嶼行冥
上弦の壱・黒死牟との戦いで、劣勢で黒死牟は悲鳴嶼であっても倒せないかと思われた時に痣が発現しました。
・水柱・富岡義勇
上弦の参・アカザと戦いで痣を発現させ、アカザを倒すことは出来ませんでしたが、互角に戦うことは出来ました。
・風柱・不死川実弥
上弦の壱・黒死牟との戦い中に痣を発現させました。
・霞柱・時透無一郎
上弦の伍・玉壺との戦いで昔の記憶が戻り、怒りで気持ちが抑えられなくなった時に痣が発現しました。
・竃門炭治郎
元々あったやけどの跡に、最終選別でさらに怪我をしてしまいました。
上弦の陸・妓夫太郎と戦った時、頸を斬ろうとしても切れず、最後の力を振り絞った時に発現しました。
炭治郎以外は全員柱ですね。
【鬼滅の刃】なぜ黒死牟にも痣がある?

黒死牟の双子の弟縁壱には、生まれつき痣がありました。
柱合会議で、あまね様が、鬼舞辻無惨をおいつめた始まりの呼吸の剣士たちに全員痣が発現していたと言いました。
痣の者が一人現れると、共鳴するように周りの者にも痣が現れるという性質があるため、まだ人間で鬼殺隊であった黒死牟に発現した痣は、縁壱の影響を受けているのではないかと思われます。
まとめ

鬼舞辻無惨をあと一歩のところまで追い詰めた始まりの剣士たち全員に発現していたと言われる痣・・・その形は半天狗によると鬼の紋様によく似ていたそうです。
現在炭治郎たちに発現している痣の形状は、発現した人によってそれぞれ違っています。
痣についての柱合会議が開かれました。
無一郎が上弦の鬼との戦いで痣が発現したことで気がついた発現条件を話しました。
体温は39℃以上、心拍数は200以上にもなるようです。
それを維持していると痣を発現できるようです。
高い基礎体力があってこそ痣が発現するということなのでしょうか。
しかし悲鳴嶼が黒死牟と戦っているときに、痣の発現している者は例外なく25歳を迎える前に死ぬということを告げました。
悲鳴嶼は痣のリスクを柱合会議ですでに知っていました。
それで上弦の壱に鬼殺隊ならば明日の命も保証もないので、黒死牟に鬼になって悲鳴嶼の技を残せと言われましたが、悲鳴嶼は人として生きて、人として死ぬということを矜持にしていると言いきられました。
それから悲鳴嶼は黒死牟の言葉に虚偽の事実があったのではないかと指摘します。
痣の発現者は例外なく25歳で死ぬと言ったが、例外はあったのではないかと問いました。
その言葉にずっと余裕を見せていた黒死牟は初めて動揺を見せます。
そして悲鳴嶼に斬りかかってきました。
自分の腹を縫い合わせ参戦してきた不死川にも痣が発現して、黒死牟は驚きます。
心の中で今の世代の柱のほとんどが痣者かとつぶやいていました。
柱ではない炭治郎は現在の鬼殺隊の中で一番先に痣を発現しました。
炭治郎はおでこにキズはありましたが、痣ではなくやけどの跡でした。
それは元々弟が火鉢を倒した時に庇ってできたものです。
その上に鬼殺隊の最終選別に遭遇した異様に強い鬼と戦った時に同じ場所にキズを受けてできたものです。
でも今度は上弦の陸というかなり強い鬼と戦った時に痣が発現しました。
もう限界かと思った時に、最後の力を振り絞り戦った時に痣が発現したのです。
しかし戦闘が終わるとキズに戻ります。
また上弦の伍と戦った時も同じように痣が発現しました。
このときもまた戦闘が終わると元に戻ってしまいました。
炭治郎のあざは、戦闘によって現れる様です。
始まりの呼吸の剣士たちが全員痣があったのは、痣の者が一人現れると、共鳴するかのように周りの者たちにも痣が現れるのです。
痣ができると、覚醒するというか能力が高くなるので鬼殺隊を強くするためにはひつようなものなのでしょう。
しかし痣は良いことばかりではなく、25歳まで生きていられないというデメリットがあります。
黒死牟が嘘をついていた例外というのは縁壱のことでした。
縁壱のことをもう少し知ることによって痣が発現しても長生きができるということがわかると思います。
強くなっても若いうちに亡くなってしまうのでは悲しすぎます。
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